「戦争」の「魅力」は丸山眞男をひっぱたくことだけじゃないと思うんだ。

赤木智弘はこう書いている

 戦争は悲惨だ。
 しかし、その悲惨さは「持つ者が何かを失う」から悲惨なのであって、「何も持っていない」私からすれば、戦争は悲惨でも何でもなく、むしろチャンスとなる。
 もちろん、戦時においては前線や銃後を問わず、死と隣り合わせではあるものの、それは国民のほぼすべてが同様である。国民全体に降り注ぐ生と死のギャンブルである戦争状態と、一部の弱者だけが屈辱を味わう平和。そのどちらが弱者にとって望ましいかなど、考えるまでもない。


「丸山眞男」をひっぱたきたい

要するに流動性が(持てる者に対して累進的に)増すから戦争ビバ、と。

しかし、一歩進めて考えてみれば、戦争のがらがらぽんぶりっていうのはより大きくて、「失う」だけじゃなくて「得る」場合も同じなんだよね。戦争で得られるものというのは「敵の命」だけで*1、それは貯めておくこともできないし、多く得たからってそれで弾が避けてくれるわけでも、弾に当たって死ににくくなるとかいうこともない*2。身分階層所得の貴賎高低貧富と関係なく、その日の戦闘ごとに「生き残れたか」という点においては常に横一線の評価がなされるし、戦功も貧富とか身分とかが(あまり)関係ない。つまり弱者にとって、みんなが弱者になるだけでなく、自分が新規まき直し再評価されうるものすごい機会なのである。悲惨な戦争に最後の希望を見出すのであれば、この「再評価」という部分を忘れてはならない。

で、これは結局「右翼は貧困層に多い論」につながってくる。忠君愛国はやっぱり社会的階層を無効化してくれるんだよな。「君」(国)に対する「忠」(愛)は個人の内的心的なものだから、身分階層所得の貴賎高低貧富と関係なく、横一線のスタートであとは自分の心の持ちようで「君」(国)から誉められることができる(と本人が感じられる)。

対して左翼というのは「我々の悪いところを直していこう」という運動で、絶えず自己否認的な内省が必要になる。これは究極的に突き詰めると例の「おやつ買ったら人殺し」みたいな話に行き着いてしまうし、左翼であることで誉められることって言うのはあくまで仮の達成についてに過ぎない。これは広い層にはアピールしないよな、そう生きるのはきついよな、と思います。

まあ俺は貧乏でも海外の軍事洋書が買えるいまの平和が好きです。

*1:うまく立ち回って儲ける人ももちろんいるわけだけれど

*2:一般将兵レベルでは