J・P・ホーガンはあることの専門家が別のことの専門家として扱われるっておかしね?と言ってるわけだが。

『造物主の掟』とかでな。

 話を住専問題にもどそう。この問題にはもうひとつ示唆的なことがある。それは、公的資金の投入によって不良債権の処理がなされたときに、検察が住専を摘発したことだ。

 なぜその摘発がなされたのかといえば、それは「乱脈融資をおこなった金融機関を救済するためにどうしてわれわれの税金が注がれなくてはならないのか」という世論の反発があまりに大きかったためである。要するに、公的資金によって不良債権を処理してやるかわりに刑事責任は追及するぞ、というかたちで国家の暴力が発動されたのだ。逆にいうなら、公的資金を金融システムの保守のために投入するという政策転換を達成するためには、暴力の行使が必要だったのである。

 これはイラク戦争の場合ととても似ているところだ。そこでは、ドルを石油と一元的にむすびつけている世界経済システムをまもるために国家暴力の発動が必要とされたからである。

 住専の摘発は、もともとが公的資金投入の「ための」捜査だったため、検察はなかなか住専幹部の特別背任容疑を立件することができなかった。「国策捜査だ」という言葉さえきこえてきた。住専の摘発におけるこうした困難もまた、イラク戦争後の占領政策においてアメリカが直面している困難と通じるものがある。

 ここのところ公共事業をめぐる談合事件の摘発があいついでいる。なぜこれまで長いあいだほとんど黙認されてきた談合がここにきて摘発されるようになったのか。国家のあり方の変容をそこに見なくてはならない。
yomone.jp

がっくりくるなあ、と言うのが正直なところである。知的であるはずの人がどうしてこういう簡単なアナロジーを使ってしまうんだろうか。どうして問題に諸条件があることから飛躍してしまうんだろうか。治安のあり方とは、ある程度まで権力のあり方で決まる。いろんな意味で飛ばし気味の田中宇だが、彼だってこれくらいの数字を挙げてみながら考えている。

今のイラクで治安を守るために、米軍は何人の兵力を必要としているか、過去のケースを参考に考えた試算がある。

 たとえば、第二次大戦後に米軍など連合軍がドイツに進駐したときは、ドイツの人口1000人あたり2人の連合軍兵士が配備されていた。ドイツには武装ゲリラ勢力がおらず、進駐軍は銃撃戦で治安を維持する必要はほとんどなかった。兵士の任務の大半は、闇市の取り締まりなど警察的な仕事だった。

 もっと混乱した状況の場合は、もう少したくさんの兵力が必要となる。1965年に米軍がカリブ海ドミニカ共和国に進駐したときは、ドミニカの人口1000人あたり6人を派兵した。かなり組織された武装ゲリラが進駐軍に対して戦闘を仕掛けてくる場合は、もっと多くの兵力が必要だ。北アイルランドに対してイギリスは、少ないときで1000人あたり10人、多いときで20人の兵力を進駐させていた。(関連記事

 問題は、1000人あたり2人から20人までのこれらのケースのどれに一番イラクの現状が近いか、ということだ。明らかに、戦後ドイツのケースではない。イラクでは米軍を攻撃してくるゲリラ勢力があり、毎日のように米英軍の兵士が死んでいる。この治安の悪さは北アイルランドの状態に近く、1000人あたり10−20人の兵力が必要だと思われる。イラクの人口は2300万人だから、23万−46万人の兵力が必要だということになる。だが、実際にイラクにいる米英軍の総数は約16万人で、1000人あたり約7人しかいない。
イラク駐留米軍の泥沼

条件が違いすぎるのに目をつぶり、ある角度からしかものを見ないのは単なるフレーミングであって、分析的態度からはほど遠い。「なぜこれまで長いあいだほとんど黙認されてきた談合がここにきて摘発されるようになったのか。国家のあり方の変容をそこに見なくてはならない。」と、萱野稔人は言うが、それは独禁法の改正や、公共事業費の激減、そして検察庁の人事のありかた(特に特捜部関係の捜査は部長のキャラクターによると言われる)まで勘案したものなのだろうか。誰も体験し得ないもの、すなわち国家*1について語るのなら、それくらいの用心が必要だと思うがどうだろうか。

*1:誰しも一部だが全部になった人はいない