“The War to End Wars”は遠くになりにけり

第1次世界大戦が始まった当初、飛行機の固定武装はないに等しかった。空の戦いといえば、操縦士や偵察員がピストルやライフルを持ち込んで撃ち合ったり、甚だしきはレンガの投げあいで決着をつけていた。爆弾も、手榴弾に毛が生えたようなのを手で放り投げるのがせいぜいで、航続距離といえば200km程度の機体がほとんどだった。いやそもそも歩兵たちだって、開戦当初はナポレオン時代とそれほど変わらないきらびやかな衣装を纏って進撃していたのだ。塹壕に鎮座する機関銃の威力が認識されるまで……。
とまあGOSICK(5) ―ゴシック・ベルゼブブの頭蓋― (富士見ミステリー文庫)を読んで思ったよ。キャラ立ちした悪くないジュブナイルなんだから、その辺は編集がもっと気をつけるべきなんじゃないのか?要塞が空襲受ける時期なんていくらでもずらせるしなあ。まあ4巻でもヴィクトリカが伯爵の「嫡子」ってなってたしな(嫡子はグレヴィール警部のほうだな)。まあちょっともったいないと思います。全然ミリネタじゃねえ。

学園ラブコメ風の話の展開は結構好きなのに、僕が今ひとつこのシリーズに乗れないのは、久城のキャラ造形がなんか変な感じを受けるからだろう。かつて高村薫の『神の火』を読んだときに、登場人物・高塚良に同じ奇妙さを感じたのだけれども、要するに「男の健気さってのはそういう風にはでねえ!」という感じ。気の使い方が細かすぎる。女性作家だからなのかなーって言ってしまっていいものかどうか。いいか、北村薫に性別論争があったときさんざん「『私』のキャラのありえなさを考えると北村薫は男」って言ってた人がいたもんな。