一生○○フリークであるということ

オタ宴会
http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20050710#p2
この辺を読んで。
子孫残せる残せない問題と一生オタでいられるか問題、どちらも軍事マニア(というか自分の見ている艦船マニア)の間ではあまり問題視されていないような気がする。艦船誌『世界の艦船』の読者投稿欄には、時折、「身の回りを整理してるところです。『世界の艦船』の創刊号から○○○号をお譲りしたいと思います。なるべくなら若い艦船ファンの方にお譲りしたい」という高齢の艦船マニアからの投稿が掲載されることがある。また、それぞれどこに書いてあるエピソードかは忘れてしまったが、雑誌・書籍系(サバゲとか軍装じゃなくて)ミリタリーマニアや、ミステリー・SFの古書マニアが、奥さんから自分のコレクションを「あなたが死んじゃったらこんなのただのごみの山なんですからね」とか何とか言われるというエピソードを何回か読んだこともある。
そういう「家族が趣味を理解していくれない」というエピソードに触れ続けながらマニアとして育ってきたせいか、「自分は一生艦船ファンだし、ジーンとミームは残せるものなら残したい」というスタンスは自然(=基本的に家庭は持てるだろう)なものだと思っていたんですが、そうでもないんだろうか。直感的には最近の言い方で言うオタク、すなわちアニメ・マンガ・ゲームといった「作品」が守備範囲のオタクの場合、作品に対するスタンスとか嗜好とかいうのがどうしても出てきてしまうので、その好みが似るかどうかということで、「ミーム」という発想になってくるのかもしれない。
これに対し「歴史」っつうよく分からないものの細部に、極めるべき真実があると思っている(特に雑誌・書籍系の)軍事マニアっていうのは、同好の士を「歴史に立ち向かう同志」的に考えている部分があって、趣味財産の移転って同志に対する側面支援だと思っているので通常のマニアよりも意識的に(=例えば若い人に譲るという形で)、ミームを残そうとするんじゃないかと思いました。
また、歳とってもオタクでいられるかって言うのは、要するに「好き」とか「萌え」とかのエネルギーが持続しますかっていう話なんでしょうけれども、軍事マニア的には、遅々たる歩みでも一歩一歩新しい知識・知見を身につければ、それすでにマニアとか、そんな感じなんじゃないかと思います。まあ半ば以上与太なんですが。
で、話は変わりますが、趣味っていうのは基本的に身内には理解されないもので、逆にそこにこそ通常の社会位相から侵されないものとしての趣味の重要性があるような気がしているので、安野モヨコの『監督不行届 (Feelコミックス)』はなんだか馴染めない。