人道のために自国民を犠牲を増やすのが、専守防衛でありクラスター弾廃止であり地雷廃止、それを認識したうえでの選択なら条約に参加したほうがいい

現状の防衛予算だと代替兵器が近々に装備される可能性はうすい。それでも釣りでもなんでもなくそう思う。


敵国が、まあそれは別にどこの国でもいっそ異星人でもいいのだけれど、敵国内でわが国を攻める準備をしているうちに先制攻撃をするのであれば、基本的に(攻撃に対する迎撃の被害以外)わが国に損害が出ないうちに、わが国への危険を取り除く事が出来る。しかし、先制攻撃は、一歩間違えると、あるいは意図的に、わが国への脅威でない国を、戦争が必要でない状況で攻撃する事がありうる。しかし、専守防衛とすればそのようなことはなくなる。なぜなら、専守防衛とは敵に攻撃されて、つまり敵が引き金を引き1人以上の人が撃たれ傷つくか死ぬかして、あるいはある広さの土地が敵国に占領されてから、暴力を発動させるからだ。もちろん敵の弾が誰もいない土地や海に落ちて、それで暴力が発動されるかもしれないが、基本的にわが国が何らかの損害を受けるのが専守防衛という考え方である。ついでに言うと、敵国に先制攻撃を受けると、イニシアティブも相手のものとなるため、「反撃してすぐに敵を追い出す」という風にはなかなかいきにくい。0対0のスコアからであれば1点取れば相手に勝てるが、0対1からだと2点取らないと相手に勝てないのと一緒である。


つまり、専守防衛とは「必要のない戦争で犠牲を出す可能性>防勢にたつことで増す被害」と見積もったうえでの選択肢であり、「必要のない戦争を防ぐ事が、第一撃を受けて戦災被害を出すことよりも重要でその可能性がある」という価値観である。なお、海外から「日本は無理筋を押してこない」というブランドイメージをも得る事が出来るが、これはまあ、逆にある程度無理を押しても恐くないと思われる部分もあるだろうから、損得どちらを大きく見積もるかは難しい。


対人地雷廃止も、クラスター弾禁止も、このような見積もりがあってなされるのならそれでいいと思う。


ちょっと見積もってみる。日本は専守防衛が国是であるのだから、対人地雷もクラスター弾も、日本国内で侵攻軍に対して使われるものである。そのためこれらを廃止すれば、戦災復興時の障害が減る*1。また、率先して条約を結ぶ事で諸外国から「日本は話のわかった国であり、人道的である」という評判というかブランドイメージを得られる。

失うものはいろいろあるが、もっとも代替がきかないのは敵軍の進行を遅らせる能力であろう*2自衛隊の配備が間に合わない間隙を敵軍が侵攻しようとした際、クラスター弾による瞬間面制圧力、あるいは地雷による拘束力はこの間隙を一時的に埋めうるからだ。両兵器の廃止により、戦域が拡大し、戦災を受ける日本国民が増加する可能性というのは増す。もちろん、さまざまな局面での攻撃効率が落ちる事によって、自衛隊の損害も増すだろう。それはクラスター弾がないことで軽減される戦災復興の障害・被害以上の損害になりかねない。


そんなのは机上の空論だ、戦争が起こり、戦局がそうなる可能性はきわめて低い、とおっしゃる方もいるだろう。それはその通りだと私も思う。しかし、まったくありえない、と言い切れるほど世界は、そして東アジアは平和ではないとも思う。


可能性の、いまだ来たらざる、そして来ないかもしれない戦争での損害と、いま現実にある人道的行動、この両者を比べたとき後者を重視するのはたぶん正しい見積もりで、それは十分に賭けに値する。しかしそれが、いかに鉄板に見えても必然の出来ごとではなく賭けである事。賭けに万分の一にでも外れたときに、もしあれらの兵器が有ったらどうなっていたかを考える事、この二つは必要なんじゃないかと思う。

*1:日米安保が機能していれば間違いなく、機能していなくても国際社会が中立(=日本のシーレーンが敵対国以外に妨害されなければ)であれば最後に勝つのは日本だろうと思う

*2:侵攻軍の水際撃破なんてリップサービスだろう。不可能だ