「かわいそう」ってなんだろう

はてなでかわいそうといった学生さんが、たとえばid:Apemanさんやid:Dr-Setonさん、あるいはid:NOV1975さんほど知的に、あるいは感情的に誠実であったかというのは、トリアージにおける葛藤について考えるのと同じくらい考えられないといけないと思った。シートンさんの「ソフィーは姑獲鳥の夢をみるか - シートン俗物記」を読んで思ったのだけれど、「ソフィーにひどい選択を迫る程度の識見しかもてなかったSS軍医かわいそう」っていう文も十分成り立つし、中2病的にそういうこといいたがるやつっていうのは絶対いる。共感の「かわいそう」なのか、悲嘆の「かわいそう」なのか、哀れみの「かわいそう」なのか。どこから発せられた「かわいそう」かによって意味合いがぜんぜん違うだろう。

同じことがたぶん「トリアージ」にも言えて、これはほとんど、広義の「選択」を同じように使われているのだけれど、結果として自己というか、エゴの為の選択と、システムの中で自分が機能として果たすべき選択がごちゃ混ぜになっているので、○○はそんなことする/しないの応酬に近くて・・・。まあなんだ、現状の議論は「かわいそう」と「トリアージ」をバズワードをせんがために成されている気がしてならない。