軍隊と裁判所と犯罪と正義となんかそんなの

先月日本がICC関連の条約を批准したせいか、「ICCで軍隊のない安全保障を築こう!」みたいな呼びかけを時折見るわけですけれども、「国際法を裏付ける強制力ってなんだよ」という話をおいておくにせよ、軍と裁判所っていうのは相互補完的なものであって、どちらかがどちらかを代替するものではないと思う。

司法とか裁判とかは事後にある事態・行為を価値付けて、「次からそれが起こらないようにする」という面が大きいから、被害者救済の面は限定的(特に刑事だとなあ)。これに対し、軍事行動は基本的に後のことは置いておいて「その場での利益・損害を極限する」のが目的だから(だからシビリアンコントロールが大事なんだよなあ)、位相が別のはず。

占領軍が被占領民を「非協力的」ということで一村撫で斬りにしたとして、あとで「じゃあその占領軍の主だった人たち、有罪で死刑ね」となっても、「正義は回復されました万歳!!!」っちゅうことにはならないもんなあ。

っていうか裁判できれいにカタがつくなら、松井石根南京大虐殺の責任で処刑ということでもうみんな何も言わないでいいはずなんだけど、誰もそれで一件落着っていってない(あったなかった含めて)。

戦争の悲惨さを減らす努力は大いになされるべきだしそれには賛同する人も多いだろうけれども、戦争や軍隊という「物理的強制力」そのものをなくすための努力って言うのはちょっと目的地が遠すぎて賛同しにくいんじゃないかと思う。国際社会でもブログでも何でもそうだけど、法と良識で保たれている場っていうのは、良識と失うもののない人(集団)が行使する物理力に対してあまりにも脆弱で、それを多くの人は皮膚感覚で知っているからな。