はてなブックマーク - 沖縄戦における警察の役割 - Apes! Not Monkeys! はてな別館

にて、id:uchya_x さんとid:Archaeopteryx さんよりご叱責(たぶん)を頂いたので、返答というかレスポンスとして。

上記ブクマコメントで自分は当初

fuldagap 歴史, 戦争 逆に警察が組織として住民の投降阻止に当たったということは、第32軍が住民を意のままに「殺せる」状況ではなかったんだなあと思ったんけど、これはまずい考えなのだろうか。あと集団自決って軍の関与0か100かなの?

と書いた。これに対しおふたりから

Archaeopteryx id:fuldagap↓『第32軍が住民を意のままに「殺せる」状況ではなかったんだなあ』>そんなことは問題になっていない。「軍の強制」をそんなふうに理解しているのか?

uchya_x あと集団自決って軍の関与0か100かなの?/誰がそんなことを言ってるんだろう?

という指摘を受けた。「そんな風に理解しているのか?」という点についてはNoであり、誰かが軍の関与は0か100かと言ったのか言えば、「軍の関与」というのが話者によって揺れているように見えるので自分にはそう見えるという答えになる。特に0って言ってる人の方にだけれども。


ただ、特に去年の秋口、沖縄で大規模な教科書検定に関する抗議集会が開催されるなど、「集団自決」問題が広く関心を集めた際にわたしが気になったことは、「軍の関与」の「軍」とは何を指すのだろうと言うことである。大本営なのか、第32軍か、軍隷下の師団か、旅団か、個々の将兵か。


まず大前提として、沖縄を戦場としたことは止む得ないにせよ*1、本土のための捨て石として沖縄県民に過酷な犠牲を強いたのは大本営であるというのは多くの人と共有できる認識だと思う。第9師団を抜いた時点で、米軍を撃退することが不可能になり、沖縄戦が防衛戦から時間稼ぎの持久戦でしかなくなったことは、当時から指摘されている。にもかかわらず、島民の疎開を強力に指導し得ず、また第32軍に対し適切な抵抗の限界(降伏が許容されるタイミング)を示していないことは、当時の日本軍の作戦指導においては当たり前のことながら、しかし控えめに言っても無策というほかない*2。しかも1945年春期の日本軍の状況を見ると、沖縄の犠牲によって得た時間で何をどうするという積極的展望はほとんどなかったようにしか見えない。せいぜい、満州パイロットの教育時間をとることぐらいではないか。その意味でApemanさんのエントリの元となった朝日新聞の記事http://www.asahi.com/national/update/0624/TKY200806230303.htmlにある「文書は住民の命を軽視し、住民から警察官まで根こそぎ動員してゲリラ戦を続けようとした日本軍の方針が実際に実行に移されていたことを裏付ける史料だ」という指摘は、基本的には正論である。


だから、沖縄戦、それも特に地上戦における沖縄県民非戦闘員の犠牲は、日本軍統帥部の直接的な責任・関与によるものであって、本土の人間はそれについて深く考える必要があるし、特別の財政措置をもってしてでも犠牲者総員に援護法を適用すべきだろう*3


……って言う話じゃないんだろうなあ、沖縄の機微は、と、沖縄戦についてはマスコミ報道と八原大佐の回顧録みたいなもんしか読んだことのないわたしでも思うわけですよ。


南樺太とかだと分かりやすい。事実上「年寄りと女子供を逃がすために戦えるやつはみんな軍と一緒に死ね」って言う命令がでて、少しでも戦闘に従事できる人間は、一部女性も含めて根こそぎ、軍の指揮下で戦ったから。あるいは本土決戦が行われたとしたら、国民義勇戦闘隊は同様に軍の指揮下に入っていたと思われる。


これに対し、沖縄戦では戦闘期間が長いせいか、軍部隊が面倒見切れなくなると一緒に玉砕だっていう方向に行かず、徴用した部隊解散して面倒みること放棄してみたり(ひめゆり隊とか)、補給品のあるガマから砲火の中に沖縄県民を追い出したりしてる例もある。で、その中に、いわば住民に軍との無理心中を強いた「集団自決」という事件があったと。


うーん、軍の関与、めちゃくちゃさ、までは自然と理解できる。では強制性ってなんなんだろう。

*1:もちろんこれにも反対意見はあるだろうと思う

*2:シチリア島戦等と比べて考えてみると明白

*3:別にここで援護法を持ちだしたことに、「どうせ金が」みたいな悪意はない