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トリアージ

要は1年ぐらい前に流行った300円のおやつを買うのは人殺しと同義か問題の変奏だよなあ。


というのはおいておいても、(元エントリから離れて)トリアージ大好き派はそれでも自分や自分の大文字の「身内」トリアージ対象になって黒タグとか黄タグとかつけられれば、トリアージという者を恨みに思うだろうし*1トリアージ大嫌い派の人も、300円のおやつとか買って、海の向こうで300円のワクチンが無くて死んでいく子供の命と自分のおやつをトリアージ的思考で選別している。いや、まあそこまで極端じゃなくても、「かわいそうだけれど人の都合を気にせず悩み相談をしてくる面倒な知人」の電話を取らないでそのまま寝てしまったことだってあるに違いない*2


本来、ひとはなにかを計算するとき自分をある程度その外におく。その「ある程度」がどの程度かっていうのがポイントかつ議論の対象であるはずなのに、どっちのひとも「自分は自分を計算に入れずに」トリアージします/かわいそうな人に全力でコミットしますっていっていて、どっちかのみが正しくて、どっちかが正しくないといっている。そこが議論を不毛にしているし、気持ち悪くしていると思う。

 生々流転、無限なる人間の永遠の未来に対して、我々の一生などは露の命であるにすぎず、その我々が絶対不変の制度だの永遠の幸福を云々し未来に対して約束するなどチョコザイ千万なナンセンスにすぎない。無限又永遠の時間に対して、その人間の進化に対して、恐るべき冒涜ではないか。我々の為しうることは、ただ、少しずつ良くなれということで、人間の堕落の限界も、実は案外、その程度でしか有り得ない。人は無限に堕ちきれるほど堅牢な精神にめぐまれていない。何物かカラクリにたよって落下をくいとめずにいられなくなるであろう。そのカラクリをつくり、そのカラクリをくずし、そして人間はすすむ。堕落は制度の母胎であり、そのせつない人間の実相を我々は先ず最もきびしく見つめることが必要なだけだ。

「続堕落論坂口安吾

トリアージもカラクリなら、トリアージの権力性を暴くこともまたカラクリに過ぎない。生々流転する中で、どれが少しでも良いかを議論する、あるのはたぶんそれだけだ。あるいはあとは優越感ゲームだけは永遠かも知れない。

*1:思わないって人は信用できない

*2:そういうのがない人とは話が通じない気がする