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オタク文化私観

 然しながら、オタキングがオタクを発見し、その伝統の美を発見したことと、我々がオタクの伝統を見失いながら、しかも現にオタクであることとの間には、オタキングが全然思いもよらぬ距りがあった。即ち、オタキングはオタクを発見しなければならなかったが、我々はオタクを発見するまでもなく、現にオタクなのだ。我々は古い様式美を見失っているかも知れぬが、オタクを見失う筈はない。オタク精神とは何ぞや、そういうことを我々自身が論じる必要はないのである。説明づけられた精神からオタクが生れる筈もなく、又、オタク精神というものが説明づけられる筈もない。コンテンツの制作が順調でありさえすれば、オタクそのものが順調だ。彎曲したジャンルごとに細分化され、通販でグッズを買い、深夜アニメに食傷し、ハルヒダンスを踊り、8ミリをすてて、安物のアップローダーにアップして気取っている。それがオタキングの眼から見て滑稽千万であることと、我々自身がその便利に満足していることの間には、全然つながりが無いのである。彼が我々を憐れみ笑う立場と、我々が生活しつつある立場には、根柢的に相違がある。我々の生活が正当な要求にもとづく限りは、彼の憫笑が甚だ浅薄でしかないのである。PCの前にふんぞり返ってキターだの神作画!だの弾幕を張っているのが滑稽だから笑うというのは無理がないが、我々がそういう所にこだわりを持たず、もう少し高い所に目的を置いていたとしたら、笑う方が必ずしも利巧の筈はないではないか。

底本:坂口安吾 日本文化私観