ゲームをよくする人としない人の間に断絶があるんだな。マスコミはそれこそ記事にすべきなのになあ。

対戦ゲーム好きだったという8人死傷事件の金川真大容疑者が23日に逮捕された際に持っていたリュックサックには、携帯ゲーム機ソフトが入っていたことが茨城県警の調べで分かった。刀を振り回したり、手裏剣を飛ばしたりしながら敵を倒す内容のアクションゲームで、三浦芳一さんが殺害された翌日の20日に発売されたばかりだった。


asahi.com:新作ゲーム所持、三浦さん殺害後に購入か 金川容疑者 - 社会


読んだ瞬間に脱力した記事。ブックマークコメントにも書いたけど、喫煙者が殺人後にタバコ買ったらそれ記事にすんのかよ、と思う。まあしないんだろうなあ。んで、novtanさんの

「容疑者のカバンに携帯ゲーム機が入っていた」とか得意げに書く報道機関に存在意義なし - novtan別館


タイトルで全てを言い尽くしてしまった…

よかったね入っているのA新聞とかじゃなくて。


を読んで、ああ新聞もタバコと一緒で、持っていても記事にはならなかっただろうなと思った。と、同時に思ったのは、ここにある「ゲームをことさらに取り上げる視点」というのは、とにかくゲームを悪者にしようという観点とか、ゲーム(とその愛好者)に対する確証バイアスとかが作用しているのではなくて、その視点の持ち主が、ゲームを知らず、ゲーム愛好者をよく知らないために生まれてきてるんじゃないかということだ。

例えば

  • 喫煙者だったという8人死傷事件の××容疑者が23日に逮捕された際に持っていたリュックサックには、1カートンのタバコが入っていたことが茨城県警の調べで分かった。

とか

  • 朝日新聞を購読していたという8人死傷事件の××容疑者が23日に逮捕された際に持っていたリュックサックには、23日付の朝日新聞が入っていたことが茨城県警の調べで分かった。

とか書かれていても、多くの人は「まあそういうこともあるよな」と反応するだろう。人を殺そうがどうしようが変化を受けにくい習慣というものはあり、タバコや新聞などはもともとの嗜好品とか情報伝達媒体という枠を超えて、日常に習慣として入り込んでくるものである。喫煙者は親が死んだ日にもタバコを吸うし、新聞取っていれば親の葬式の合間に手に取るくらいはするということを、直接であれ間接であれ体験的に知っているからだ*1


ゲームが好きな人、あるいはもうちょっと広く取ってゲームにはまり込んだ人というのはこのタバコや新聞と同じようにゲームをプレイしている(まあ身の回りのゲーム好きな人という限られた観測範囲だけだけど)。夕飯食ったからゲームすっか、今日休みだけどなんか思いつくまでとりあえずゲームしてるか、みたいな。もちろん意識的に「時間あるからゲームするぞ!今日は△△まで攻略する!!」っていう場合も多いわけだが。んで、ゲームソフトも普通に月に何本か買ってる。○○出てたから会社帰りに買った、みたいに。生活の中にゲームが入り込んでる。


ってゆうことがぴんとこない人っていうのが結構な数いるんだろうな。ゲームっていうのを「わざわざする特別な遊び」として捉えてしまう人々が。だから、事件起こした後にゲーム買ったっていうのが連続殺人鬼の残す「署名」マークみたいに感じて、殊更にゲームと事件の関係を言い募るんだろうなあ(いい過ぎだろうか?)。


ゲームとさまざまな事件の間に科学的な相関がないとかそういうことは問題じゃなくて、「ゲーム好きのライフスタイルが理解できない」という話なので、正しさを武器にした説得というのは通じないんだろうなと思いました。こういうのもキャズムっていうのだろうか。

*1:ちなみに自分の両親は健在です