GUNSLINGER GIRL 9 (電撃コミックス)、あるいはアンジェリカは正しく葬られたかというはなし

不慮の死、旅の途上での死などで正しく葬祭を受けられなかった遺体は、正しく土に還らず、生前の姿のまま邪悪なものとなって夜な夜な悪さを成す、という伝承は洋の東西を問わない広い範囲にある。例えば、ブラム・ストーカーが売り出す前、吸血鬼とはそのようなものだと考えられていた。どこか義体を彷彿とさせる話である。

さて、9巻ではその義体であるアンジェリカが「再び死を迎える」わけなのだけれど、うーん、むつかしい。いわゆるChild Soldier問題として考えれば義体というのは十分以上に悲惨で陰惨な、大人の狡猾さの犠牲となった存在だ。しかし免罪符設定とでもいおうか、少女たちの多くは「義体にならなければ(物理的に・実質的に))死んでいた」人間であるという事情がある。尊厳ある死と、悲惨な生。どっちがマシかというのは価値観の問題になる。

ので、それはおいておいて、フラットにエスピオナージュとして考えれば、アンジェリカはそれなりに恵まれていたのではないかと思うのだ。エスピオナージュ史上、あんなに多くの人に悲しみとともに送られた現場要員はいない。ケンブリッジ・サーカスやDDSPのおっさんたちはだいたいひとりかふたりで、国境の近くの町でひっそり死んでゆくのである(チャーリー・マフィンは別として)。言い換えれば、社会福祉公社の人たちはサーカスやDDSPの人たちに比べて優しいのである。つまり、ガンスリは優しいことがもたらす悲惨と苦悩の話なのだということが9巻を読んでようやく分かった。いわゆる「本格スパイ小説」が「優しくないこと」がもたらす悲惨と苦悩の話だったのとちょうど逆だなあとおもう。そういえば『イリヤの夏、UFOの空』も優しさの話だったな。ちょっと似ているような気がする。

しかし、ガンスリはどういう風に終わるんだろうなあ。たぶん一番平和なのは、義体たちが過去を取り戻した上でなお「Das ist für mich」(これは私のための身体です、という感じ)と(元ネタ的にはトリエラあたりが)言えるだけの折り合いをつけることなんだろうけれども。でも、言えるとしたらペトラなんだよな。うーむ。前から書いているけれど、そうで無ければ2課は首都警特機隊になるしか道がないからな・・・。

なおこの手の「正しく葬られなかった諜報員」ものの外伝としては、首相暗殺を防げなかった2課の担当官が何年か後の総選挙の時に、首相候補の暗殺を狙う義体の生き残りと対決する、とかそういうのがあってもいいですね。マルコビッチ似の義体がいないのが残念です。

GUNSLINGER GIRL 9 (電撃コミックス)

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