各地に伝わる昔話の伝説はこうやってできてきたに違いない

 岐阜県各務原の第12輸送飛行隊に配属された1945年3月27日、百式爆撃機「呑龍」(どんりゅう)に無線士として搭乗、台湾に向かう途中、無線が入った。無線は敵機の重爆撃を告げる「ヒケ三」。広島県呉市の上空で呑龍の3倍はあろうかという米軍の「グラマン」12機に遭遇。瀬戸内海の島々を這うようにして逃げ、辛くも福岡の太刀洗飛行場に到着した。
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「呑龍の3倍はあろうか」って味方編隊が4機だったってことじゃなくて、でかさがそう見えたってことだよね?呑龍の全長は16.81mだから、その3倍っていうと初期型のB767くらいあるよ……。B29よりでかい艦載機ってどんな超兵器よ(;´Д`)。このグラマンてたぶんF6F(全長:10.24m)だけど、それがそんなサイズに見えたってことはよっぽど追いつめられたんだろうなあ。戦後平和運動とかをするのも納得がいく。

こういう記憶混淆は、戦争体験談には結構あって、よく「B29に機銃掃射された」というお年寄りがいるけれど、B29が機銃掃射をする例は実際は極めて希だったようだ。低空に降りて民間人ばりばり撃つのはでかいくて運動性の良くないB29が気軽にやることじゃない。だいたいの場合、護衛戦闘機なんかに撃たれたのを「B29に撃たれた」と思っていることが多いのだけれど、生き死にのギリギリにいれば飛行機の種類になんかかまってられないのは、それはそれで当然だなあと思う。

※なお上記の記事は、後日「広島県呉市の上空で呑龍よりもスピードの速い米軍の「グラマン」12機に遭遇。瀬戸内海の島々を這うようにして逃げ、辛くも福岡の太刀洗飛行場に到着した。」と訂正されてました。いっぱい突込みがあったんだろうなあ。