「文科系女子萌え問題」という空中戦はどこが主戦場なんだかわからないのですが

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watapocoの日記 - 「萌え」って言葉で女子の生き様をくくらないで欲しい
「性的な視線で見られる」ことがなければ悲しいじゃないか、というのはすごく分かるんだけど、それは体のことであって。「文化系女子」みたいにその人のライフスタイルとか人格に関わることは、普通に「好き」って言えばいいのに、と思います。

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hopeless world - 粘液質のもので不特定多数の獲物の一匹にされる感覚
話題を外見に限定しますと、例えば男性のそれが後発であるとはいえ、女性の服飾・アクセサリーなどの数の多さ・区別の難しさに私はしばしば圧倒されます。女性の方が男性よりもはるかに多くの情報を処理しているという言説がありますが、もしそれが正しいとすれば、男性にとって「同じような女性」の集団の中から一人の女性をオンリーワン化してみることは難しく、まずはカテゴライズした方が楽なんでしょうけど。結果として「優柔不断」「浮気」になってしまう?女性の場合は?

ここに表されているような感情自体は理解できます。でもちょっとわかりにくいところがある。

それなりの数の女性が、様々なライフスタイルや人格やその他もっと物的なものに対して「かわいい」という言葉を突きつけてくくったり、カテゴライズしているわけですけれども、「萌え」というレッテル貼りほど非道だと言われない。素朴に疑問に思う。なんでなんでしょうか。ケースによって、僕はこの「かわいい」という言葉を「人に向けて使う言葉かよ」と思うことがあります(もちろんそうとしか言いようがないんだろう、と思うケースも多いわけですが)。

んで結局、これらの言葉がどう扱われるか、受容されているかということが、男性の言葉か女性の言葉かという問題、つまり数十年来の「見る性」と「見られる性」っていう話に回収されていくのであれば、「いい女」という言葉には(私が・社会が)もう慣れて(諦めて)いるけど、「萌え」にはまだ(私が・社会が)慣れていません、ということになるだけなんじゃないでしょうか。何か新しいものがここにはあるのか、僕にはわからない。