阿川弘之はすごく海軍の人のイメージが強いけど、島尾敏雄がそうじゃないのは作家性の違いじゃなくて配置の問題だったりして

大学時代の後輩のブログ(http://d.hatena.ne.jp/QueSera/20060425#p1)を見てやや驚いた。

そういえば最近、阿川弘之読んだんだって?」「おう。読んだ読んだ『南蛮阿房列車』ね」「文章の切れ味凄いよね」「凄い凄い。今までは阿川父っうイメージだったけど、完全にひっくり返った」

この人たちは僕よりもはるかに読書量が多く、読書の幅も広いのに、阿川弘之=阿川父という認識なんだというのが驚きだったのである。僕にとって阿川佐和子こそ徹頭徹尾「阿川娘」であって、その逆ということはない。まあ、これには僕がキャスター時代の阿川佐和子をあんまり見ていないという理由もあるわけだけれども、結構早い段階から阿川弘之の著作に触れていたことが大きいと思う。『軍艦長門の生涯』『米内光政』『暗い波濤』等など。……確かに、普通はあんま手に取らないか。『きかんしゃ やえもん』読むようなタイミングでは作者とか気にしないだろうしな……。「阿川弘之阿川佐和子父」で『南蛮阿房列車』がファーストコンタクトというのは存外正道なのかもしれない。そういえばジェネレーションギャップの目安として語られることの多いこの手の親子認識問題だが、僕の中では『言語にとって美とは何か』を先に読んじゃったせいで、吉本ばなな吉本隆明の娘としてきちん認識されている。問題は先に吉本隆明を読んじゃったせいで吉本ばななを一向に読む気がしないまま今まで来てしまったことだ。あんな難しい文書く人の娘だもんなー。絶対小説も難しいよ、という思い込みを抱えてもう10年になります。