『戦艦大和ノ最期』をめぐって

昨日の産経新聞の1面に、次のような記事が出ていた。

吉田満著書 乗組員救助の記述 戦艦大和の最期 残虐さ独り歩き
http://www.sankei.co.jp/news/050620/morning/20iti001.htm
 戦艦大和の沈没の様子を克明に記したとして新聞記事に引用されることの多い戦記文学『戦艦大和ノ最期』(吉田満著)の中で、救助艇の船べりをつかんだ大和の乗組員らの手首を軍刀で斬(き)ったと書かれた当時の指揮官が産経新聞の取材に応じ、「事実無根だ」と証言した。(中略)
初霜の通信士で救助艇の指揮官を務めた松井一彦さん(80)は「初霜は現場付近にいたが、巡洋艦矢矧(やはぎ)の救助にあたり、大和の救助はしていない」とした上で、「別の救助艇の話であっても、軍刀で手首を斬るなど考えられない」と反論。
その理由として(1)海軍士官が軍刀を常時携行することはなく、まして救助艇には持ち込まない(2)救助艇は狭くてバランスが悪い上、重油で滑りやすく、軍刀などは扱えない(3)救助時には敵機の再攻撃もなく、漂流者が先を争って助けを求める状況ではなかった−と指摘した。

同記事を受けて今日の社説にも同じような主張が載っている

■【主張】戦争の真実 常に実証的な目で検証を
http://www.sankei.co.jp/news/050621/morning/editoria.htm

戦艦大和ノ最期 (講談社文芸文庫)と言えば20日付の記事のとおり、戦記文学の傑作であり、僕も一読して大変強い印象を受けた。特に大和の特攻作戦に何とか意味を見出そうとする少壮士官たちの論争は大変心に残る。それだけに、今回の問題提起というのは非常に考えさせられるものがあった。
実は、ネット上にも同様の主張をしている人がいる。

吉田満著「戦艦大和ノ最期」の中に書かれた虚偽と真実
http://wwwi.netwave.or.jp/~ynoguchi/yooko/komoda10.htm
(前略)こんなことが、事実であろうはずがない。艇指揮(士官?)や下士官が日本刀を持って軍艦に乗り込むことなどあり得ない。松永市郎先輩が、有名な「先任将校」という本の中で、軍艦が沈没したときに軍刀を持っていたときの不利を知っており、その後は「短刀」を所持しておられた箇所がある。(後略)

産経の記事と同じように、海軍士官が救助艇で人の手を切り落とすようなことはしないだろうと言う主張だ。
で、正直ベースで言うと「手首斬り」がというのが事実かどうなのか、という点については深入りしたくない。というか、真偽を証明しうるだけの証拠がないのでどうしようもない。そもそも吉田満の記述も伝聞系だし、産経記事の松井証言にしたところで「現場にいたが見なかった」というものではなく「現場にいなかった」というものに過ぎない。別の証言者か記録が出てこない限り、判断のしようがない。
では何が引っかかるのかと言うと、この「手首斬り」という「モチーフ」である。実は吉村昭の「海の柩」(総員起シ (文春文庫 よ 1-6)所収)にも同じような話がある。太平洋戦争末期に、北海道のある漁村に多くの兵士の水死体が流れ着いた。どうやら輸送船が撃沈されたらしい。しかしよくよく見てみると漂着死体には腕のないものが混じっており、救助に当たった漁師たちは不審に思ったのだが……、という内容で、現場を目撃した将校の証言も併記されていて一定の信憑性がある。いや、この作品が100%歴史的事実に沿うているかどうかはともかくとしても(考え方によっては沿っていないほうが)この「手首斬り」というモチーフが、なぜ二つの作品で取り上げられているのかには興味がある。実際に何件も発生した事実なのか、このモチーフを喚起するような事実があったのか、あるいは何か民俗学的な理由なのか……。(ここあとで考えが少しまとまったら書き足す)

ちなみに、ミリオタ的な視点で考えると、大和乗員の救助に当たった艦が間違って記述されている点については、大して問題だとは思わない。太平洋戦争の公式記録といえる戦史叢書の刊行(1969)以前に書かれた色々な戦記では、時おり艦の取り違えがあり、はなはだしい場合は間違った艦が作戦に参加したことにされている場合もある。この程度の混乱と言うのはかえって戦場の実情を伝えているなと思う。